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つまり明治22年(1890年)の時点で、京都市については行政単位として機能していたことになる。
(2)仮説の設定
一般に、1つの行政区画の面積が狭くなれば、行政サービスの質が向上する。すると面積の割に
[8]
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人口が増加し、当然戸数も増加する筈である。神社数もこれと関連して面積の割にその数が多くな
ると考えられる。
しかしこれは個々の行政区画が独立した行政単位として機能することが前提である。先述のよう
に京都府下の各郡が行政単位として機能するのは明治32年以降(京都市については明治22年
以降)である。
するとこれ以前は各郡区ごとの神社数(/k㎡)と戸数(/k㎡)の間には何ら関連はなく、明治32
年(京都市では明治22年)以降、各郡市の面積とも関連して神社数(/k㎡)、戸数(/k㎡)が増加し
ていったと考えられる。元々面積が狭い郡区(この場合は上京・下京
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