寺社数と人口の歴史
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明治41年間では、京都市で神社数(/㎢) 、戸数(/㎢)とも増減を繰り返し、紀伊郡では神

社数(/㎢)は一旦減少の後横這い、戸数(/㎢)は増減を繰り返している。久世郡では神社数

(/㎢)、戸数(/㎢)ともに減少傾向にある。

 一方、面積の広い三郡市のうち、北桑田郡で神社数(/㎢)は横這い、戸数(/㎢)は増加して

いる。船井郡では神社数(/㎢)、戸数(/㎢)とも減少している。何鹿郡でも同様である。(表5

表6参照)明治21年ー明治41年間では、北桑田郡では神社数(/㎢)は大体一定、戸数(/㎢)
  
       
は増減を繰り返しながら減少している。何鹿郡では神社数(/㎢) 、戸数(/㎢)とも一貫して減少

傾向にある。(表910

 神社数対戸数比は、長期的には殆どの郡区(市)で低下の傾向にあり、郡区(市)を特定できな

い。(表11)      
      
      
   

  

   
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