寺社数と人口の歴史
                      明治京都編  
         
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ずれも単位面積あたり)とその要因について分析したい。なぜ天台宗と併せて真言宗の、寺院数の

格差とその要因を分析するのか、その理由は後述する。時期的には、明治21年(1888年)から明

治25年(1892年)を扱う。地域は京都府について扱う。

      第1章 統計資料利用上の留意点

    (1)明治時代京都の行政区画再編
 
 この問題を扱うにあたり、まず該当する地域である京都府の、明治期における行政区画再編に

ついて触れておかなくてはなるまい。
 
 近代以降の都道府県は、古代の令制国がもとになっている。京都府の場合は、山城・丹波(一部
                     
[3]
)、丹後の三ヶ国から成っている。これら三ケ国のうち、丹後国は明治4年(1871年)に豊岡県に、

山城・丹波(一部)の2ケ国は京都府になっている。

 明治9年(1876年)には、豊岡県が京都府に編入されている。その後明治41年(1908年)まで

京都府域の変更はない。明
  
   
       
      
      
      
   


  

   
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