寺社数と人口の歴史
                      明治京都編  
         
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 これら2宗派は平安時代に成立しており、多くの寺院が、やはり平安時代に建立されたと考える。

その際2宗派で「住み分け」が行われ、明治時代もこれが継続していたと考えられるからである。

 すなわち、京都府下において、天台宗寺院が多く建つ地域と、真言宗寺院が多く建つ地域が分

かれていた、ということである。
          
[6]
 表1をみると、相関係数自体は、明治21年、明治25年とも、天台・真言いずれの宗派も戸数と強

い相関を示す。また、表2を見ると、明治21年・明治25年とも、天台・真言の2宗派の寺院数は強

い相関関係にある。
          
[7]
 しかしながら、天台宗寺院は真言宗寺院に比べ、その数は圧倒的に少ない。そもそも限られた地

域にしか天台宗寺院が建っておらず、真言宗寺院はより広範に分布し、天台宗寺院が存在しない

地域にも多くの真言宗寺院が建っていた可能性がある。

 「住み分け」とまではいかないまでも、2

   
       
      
      
      
   


  

   
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